令和6年能登半島地震に対して、ボクらができること
もろたびを見てくださって、ありがとうございます。こっけ~です。
毎年恒例の新年の記事を用意していたのですが、御存知の通り、2024年の元日に大きな地震が北陸を襲いました。
それに対して自分ができることはないか、書いていきたいと思います。
令和6年能登半島地震
(Yahoo! の天気・災害ページから引用)
今回の地震は、『令和6年能登半島地震』と気象庁が命名された。
気象庁は気象(台風・豪雨・豪雪など)・地震・火山現象などの大きな災害に名前をつけることがある。
令和6年能登半島地震は、2018年の『平成30年北海道胆振東部地震』以来の命名だ。
能登半島では2020年12月から地震が頻発しており、
2022年の9月にはマグニチュード5.4、最大震度6弱、
2023年のゴールデンウィークにはマグニチュード6.5、最大震度6強、
そして、今回の地震ではマグニチュード7.6、最大震度7の地震が起こった。
なお、マグニチュードが1増えるとエネルギーは約32倍の大きさになるので、過去の地震と比べてもかなり大きい。
海に近い地域であることから、予測される津波が高さ3メートルを超える場合に発表される大津波警報が東日本大震災以来の発令、
また、冬で乾燥していたこともあって火災も起こり、翌日の午前6時頃になってようやく鎮火した。
これからも、寒さの問題や物資の問題などが懸念される。
被災地から離れたボクらができること
ボクは、東日本大震災の被災地にボランティアとして行ったことがある。
でもそれは地震から1ヶ月以上経った後で、ボランティアを行う組織ができあがっていてからだった。
すぐにでも駆けつけたい気持ちはあるが、地震直後はまだ余震も多く、二次災害に巻き込まれれば余計な迷惑をかけてしまう。
では、離れたボクたちにできることは何があるのだろうか。
★ 支援は、自治体が要請してから。
(『【かいぬし手記】ペルーで数十年に一度の災害に巻き込まれた話』より)
被災地は多くのものを必要としている。
しかし、場違いなタイミングで送ってしまうと、かえって現場を混乱させてしまう。
北海道南西沖地震の後、『内閣府防災情報』のまとめによれば、
救援物資の仕分けには相当の日数を要した。 問題点もありました。送られてきたものを整理し、中身を確認しなければならなかったこと。 その中身を分類、仕分けしなければならなかったことなどありました。 災害対策本部では救援物資班を組織し、これらの作業に当たりましたが、膨大な量の物資の整理に相当の日数を要しました。 [『1993 年北海道南西沖地震 瀬棚町災害記録書』瀬棚町(1995/3),p.105] |
また、需要と異なるものを送ってしまえば、反対に迷惑をかけてしまう。
生ものの救援物資は腐敗してしまう。 ◆「(前略)これはとくに郵送されてきた小包に目立った現象なのですが、なま物あるいは半なま状態の食糧を郵便で送ってくださった方がかなりおられたんですね。 通常の状況ならともかく、なにしろいったん集荷される札幌郵便局、函館郵便局などが臨時態勢を取っても整理・分類しきれないほどの数が送られてきたため、本来なら 2 日か 3 日で奥尻に届くものも、1週間あるいは 1O 日間もかかることが少なくなかったわけです。 そのため、もったいないことに、かなりの食糧が腐敗してしまいました。 こういうケースでの被災地への救援食糧は、やはり缶詰(ビン詰めは壊れやすい)などがいちばん望ましいというのが実感ですね」 [『北海道南西沖地震奥尻町記録書』奥尻町(1996/3),p.158] |
僕が奥尻に行って考えるようになったのは、山のように送られてくる救援物資とたくさんいるボランティアを見てです。 企業から送られてくる物資は僕の目から見て役に立っていたと思う。 しかし、一般の人からのものの中には、使い古しの衣類やくつ、手のついた食料品など、その他いろいろでした。 送った人にとっては善意なのかもしれないが、今まで何不自由なく生活していた人にとって、他の人が一度使用したものは、そんなにうれしくないものだと思う。 むしろ迷惑に思うのかもしれない。 [『それでも奥尻の海は青かった―北海道南西沖地震救援キャンプ報告書―』北海道 YMCA(1993/10),p.16] |
過剰な支援物資の保管場所の確保や、利用できなかったものの焼却処分に多額の税金もかかった。
特に、折り鶴や手紙などは本当に困ったそうだ。
善意の押しつけは、悪意となる。
だから、自治体の要請があってから、必要としているものを送るべきだ。
もしくは、信頼の置ける団体に募金するのも良いかもしれない。
★ 日常生活を送る。
今日行われるはずだった、皇居での新年一般参賀は地震を受けて中止となった。
皇室に”祝賀”の意を送る行事なので、地震から1日と経っていない中で行うことができないのは共感できる。
冒頭に書いたように、ボクも新年に用意していた記事を控え、新年の挨拶をしないでこの記事を書いている。
とはいえ、いつまでも鎮痛の面持ちでいるわけにもいかない。
被害がない地域までが”自粛”を続けていても、被災地を救うことにはならない。
むしろ、今まで通りの生活をして、経済を回すことが大事だと思う。
★ 北陸のものを買う。
とはいえ、何もしないで待っているだけというのももどかしい。
そこでボクが行おうと思うのが、北陸のものを買うことだ。
今回大きな火事もあった輪島の朝市通りにある、八井漆器本店さんへ行ったことがある。
日本三大漆器の一つ・輪島塗は、本当に美しかった。
あの時は買わなかったけど、今こそ輪島塗の商品を買ったら、生産者のこれからの暮らしに繋がるかもしれない。
同じく朝市通りにあった日吉酒造さんの日本酒。とても美味しかった。
石川県にも、素敵なものがいっぱいある。
それを買うことで、少しでも被災地の役に立てたらなと思う。
「思うことや偲ぶことだけでは、人は救えない。」
「ただ祈るだけではなくて、地元の経済に貢献する形でね。」
これは、ボクが昔から抱いている考えだ。
今回も、それを実行していきたいと思う。
そして、この記事を読んでいるあなたも、ぜひ!
また「もろたび。」に来てほしいなの♪
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焼けてしまった、朝市通り。
日本三大朝市の一つ、輪島朝市が開かれていた。
またいつか、復興した姿が見たい!
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