【東日本大震災③】南三陸町の悲劇から考える、遺された人がすべきこと。

【東日本大震災③】南三陸町の悲劇から考える、遺された人がすべきこと。

もろたびを見てくださって、ありがとうございます。こっけ~です。

今年も3月11日がやって来たので、東日本大震災について書きたいと思います。

 

これから掲載する写真はところどころにモロが写っています。

不謹慎だと眉をひそめる人もいるかもしれませんが、まだ漢字を読むのが難しい子供たちにも写真を通して震災のことを知る切っかけになってほしいと思い、載せることにしています。

 

※ 昨年度までの記事はこちら。

 

 

 

 

 

 

宮城県・南三陸町

宮城県、南三陸町。

三陸海岸に位置し、湾や入江がギザギザに入り組んだリアス海岸の地形になっている。

その地形が外海からの波を和らげ、水深は深くなるため、港町に適している地形だ。

しかし、一度に押し寄せる津波には弱く、切り込みのような地形故に波が高くなってしまう。

そのため、南三陸町は災害に対する備えも行っていた。

防波堤や防潮堤、水門などである。

さらに1995年、志津川町(合併前の南三陸町)は海岸から約600m、海抜1.7mの地点に3階建ての庁舎を建てた。

鉄骨造りで高さ12m、いざというときには屋上へ避難できる防災庁舎である。

 

 

 

! ここから津波の写真や描写を含みます。ご注意ください !

 

 

 

2011年 3月 11日

 

そしてあの日、南三陸町に津波がやってきた。

 

 

上のリンクは、南三陸町で写真館を営む、佐藤信一を取材した記事である。

著作権の関係もあるので私人の写真を引用できないので、ぜひ見て欲しい。

津波が水門を破った瞬間。

屋上に避難している人たちが写っている、防災庁舎。

そして、その屋上をも上回る津波に飲み込まれた防災庁舎。

 

当時の役場職員が、屋上から撮影した写真がある。

 

 

 

こちらは南三陸町の公式サイトにて公開されているので、引用したいと思う。

 

 


(「南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の状況写真」から引用)

津波が川を遡り、水煙のようなものが上がっている。

 

 

 


(「南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の状況写真」から引用)

大量の瓦礫が建物のすぐ近くまで押し寄せている。しかし、津波の勢いは止まらない。

 

 

 


(「南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の状況写真」から引用)

水位はどんどん上昇し、建物の姿が全く見えなくなる。

そして。

 

 

 


(「南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の状況写真」から引用)

海抜1.7m、高さ12mの屋上まで津波はやって来た。

記録によればさらにここから2m上まで上昇、屋上にいた約30人の内、助かったのはたった10人だった。

撮影者も水に飲まれ気絶したが、手すりを掴んでいた副町長が反対の手で離さずにいてくれたため、奇跡的に一命を取り留めたのだという。

 

 

 

震災以降・旧防災対策庁舎

こちらが、防災対策庁舎の場所である。

周辺一体は震災復興祈念公園として整備されている。

 

防災対策庁舎は鉄骨だけ残ったものの、それ以外は全て流されている。

 

鉄でできているはずの非常階段は大きくひしゃげており、津波の威力の凄まじさを感じざるえない。

この防災対策庁舎で、一人の逃げなかった職員の話が残っている。

 

 

 

命尽きるまで呼びかけた防災無線

当初、6mという津波予想もあり、職員は庁舎から避難せず、2階の危機管理課に町災害対策本部を置いた。

同じ階の放送室からは、職員の遠藤未希さんが町民に対して防災無線で呼びかけを行った。

津波がやって来るその直前まで、62回にも渡って呼びかけを続けたという。

 

彼女は逃げ遅れたわけでも、津波が来るのを知らなかったわけでもない。

防災無線の内、最後の4回は津波の高さが10mと放送している。

しかも、周りからの「上へ上がって」という静止の声があったにも関わらずだ。

彼女は文字通り、命を懸けて町の人へ呼びかけたのである。

 

 

 

彼女の殉職をどう受け止めるべきか

彼女の行動は紛れもなく気高い、尊い行為である。

初めてこの話を聞いたときも、そして今あらためて記事を書いている今も、涙が出てくる。

この彼女の行為を、私達はどう受け止めればいいのだろうか。

 

 

 

南三陸町の町長は、犠牲となった職員がいるのは避難指示が不適切ではなかったからではないかと、一部遺族(前述の遠藤さんではありません!)から業務上過失致死容疑で告訴された。

不起訴処分になったものの、未曾有の大災害においても公務員や政治家に対する住民の要求は高い。

 

 

市のハザードマップで津波の浸水想定区域外だった石巻市立大川小学校では被害児童の遺族が告訴、こちらは県と市に損害賠償が確定した。

マニュアル通り校庭に避難したことが、人災として認定された。

 

東松島市立野蒜小学校では、児童を同級生の父親に引き渡して送り届けられた後、自宅で津波に巻き込まれて死亡したが告訴、賠償命令が下った。

事前に登録した保護者ではない人に引き渡した、マニュアル以外のことを行ったことが、人災として認定された。

なお、その野蒜小学校の体育館も津波にのまれて死者が出て、告訴されている。学校現場に対する住民の要求は高い。

 

遠藤未希さんが行ったことは、称賛されるべき大変素晴らしいことだ。

だが、それを公務員として”あるべき姿”と見なしてしまうのは、大変危険だ。

遠藤さんは震災の前年に結婚して、半年後に披露宴を控えていたという。

公務員も、政治家も、教員も、一人の人間であることには変わりない。

それぞれに生活があり、家族があり、人生がある。

人災は決してあってはならないが、結果だけを見て人を責めるのではなく、この辛い経験から何を学ぶか。

どうしたら被害を防ぐことができるか。危険性を少しでも減らすことができるか。

それこそが、遺された人にとって大事なことだと思う。

 

 



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おまけ

震災復興祈念公園のすぐ近くには、南三陸さんさん商店街があります。

津波の被害があった場所に盛り土をし、川沿いも護岸工事をしっかりしてあります。

過去から学び、未来に活かす。

 

そのために、ボクはこれからも記事を書きます!

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