【かいぬし手記】被災地・クライストチャーチから、震災と復興について考える
こっけ~:「というわけで、今回は以前載せた震災の記事を再掲します!」
※ 記事は2018年の3月11日に作成したものです。よって、日付がずれています。
2011年2月22日、ニュージーランドのクライストチャーチ地方を、M6.3の地震が襲った。
カンタベリー地震と呼ばれるこの地震は、185人の死者を出した。
と言っても、クライストチャーチについて調べるまで、この地震についてほとんど知らなかった。
ただ、ニュージーランドへ行くことを考えていた去年の11月、またもこの地方をM7.8の地震が襲った時に、カンタベリー地震のことも言及されていた。
それまでは、ニュージーランドも日本と同じく、環太平洋火山帯に接する国の一つなので、地震が多い国だという認識くらいしかなかった。
海外の国で起きた地震など、あまり記憶に残らないのかもしれない。
日本で起きた東日本大震災でさえ、7年(執筆当時)も経てば普段の生活の中で思い起こす機会などあまりないのだから。
クライストチャーチの街の中心にある、クライストチャーチ大聖堂。
街のシンボルだったその大聖堂は、カンタベリー地震から約6年(2017年1月)経っても、
崩れた形のまま、残っている。
大聖堂だけではなく、
街の建物も、壁が崩壊したままになっていたり、工事中になっている場所が多くあった。
震災は自然現象であり、金銭的に見れば一方的な損失だ。
税金や労働力にも限りがあるから、なかなかすぐに元通りというわけにはいかないのだろう。
それでも、建物やインフラは元に戻したり、新しく作り直すことができる。
だけど、傷ついた人の心は、簡単に治すことはできないだろう。
今から7年前(執筆当時)、東日本大震災が起きた時、居ても立ってもいられなくなって、被災地ボランティアへ行ったことがある。
震災後まだ1ヶ月ほどしか経っていなかった被災地は、あまりにも凄惨だった。
丈夫な素材でできているはずなのに、簡単にひしゃげられてしまった電信柱、
壁を失って鉄骨だけになったビルや、
基礎部分以外全て流されてしまった住宅、
卒業式を目前にして破壊されてしまった学校の体育館。
そして、何より衝撃的だったのが、
かつて、街だった”跡“。全てが、地震による津波によって押し流されていた。
ここに何百件の家があって、何千人も住んでいたのだろう。
その人たちの暮らしを、一日で破壊してしまった地震。
残されたボクらに、何ができるのだろうか?
クライストチャーチは現在、復興に向かって進んでいる。
大聖堂のすぐ横には、
のんびりとチェスをするスペースが設けられ、くつろぐ市民の姿も見られた。
また、大聖堂が建て直されるまでの祈りの場として、
カードボードカテドラルが新たに建てられた。
ここは、建築材にボール紙が用いられている珍しい教会で、日本人の坂茂氏が設計したという。
そして、震災で被害を受けたショッピングモールの跡地に作られたのが、
カラフルなコンテナをそのまま店舗にした、Re:STARTだ。
当初は仮設的なものにする予定だったが、今では新たな観光名所としてすっかり定着したらしい。
ボクは、楽観主義者でも悲観主義者でもない。自分を現実主義者だと認識している。
そして、震災の復興に一番必要なものは、何と言ってもお金だと思う。
観光は地元にお金、特に外貨を落とさせる最高の手段だ。
地元商店の売り上げは、すなわち住民の収入となり、それに伴って税収も増える。
「金は天下の回り物」という諺があるように、経済活動こそ人間社会の根幹を支えるものだ。
だから、東日本大震災の後、いろんな行事が自粛されたことに非常に疑問を感じた。
安全が確保されていない被災地の行事を中止するのだったらまだわかる。
だが、全く関係ない場所で行事を自粛することに、何の意味があるというのか。
むしろ、経済活動が盛んになった方が日本全体の、ひいては被災地にとっても恩恵があるというのに。
一昨年大流行したポケモンGOのレアポケモン・ラプラスが、東北地方の沿岸部で多く出現するというイベントがあった。
それにより、たった11日間のうちに石巻市だけで20億円もの経済効果が上がったらしい。
思うことや偲ぶことだけでは、人は救えない。
現代社会においてはお金こそが最大の力を持っているのではないだろうか。
“Restart“に向かて舵を切ったクライストチャーチが、以前よりさらに素敵な街になることを祈りたい。
もちろん、ただ祈るだけではなくて、地元の経済に貢献する形でね。
また「もろたび。」を読んでくれたら嬉しいです。
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