【かいぬし手記】犬の肉・ポシンタンを食べてみた。

【かいぬし手記】犬の肉・ポシンタンを食べてみた。

※ 当記事は2015年6月24日に投稿されたものを、転載したものです。

 

 

どうも、モロくんのかいぬし、こっけ~です。
この記事では、モロくんが語るには重いテーマで書こうと思ったので、筆を執りました。
乱文長文になりますが、ご意見などお聞かせいただければ幸いです。

 

 




 

 

釜山・徳川駅から歩いてすぐの、亀浦市場という市場へ行った。
午前中に行った釜田市場のように、野菜や鮮魚などが並んでいる。
それらの明るいアーケードから少し離れたところに、やや薄暗い通りがある。

 

 

ここが、通称「ポシンタン通り」と呼ばれる場所だ。

ポシンタン」を知っているだろうか?

 

 

この写真はポシンタンという料理である。
どういう印象を受けるだろうか?
煮こまれたお肉と辛そうなスープ。辛い物好きな人だったら美味しそうだと思うかもしれない。
結論から先に言うと、ボクはこの後、ポシンタンを”食べた”。
韓国の食文化の一つであるこの料理、その材料となるのが

 

 

 

 

 

 

 

 

、である。

ここで、大多数の人は抵抗や嫌悪感を感じるかもしれない。
実際、それらは通常の、健全な反応だと思う。
日本で犬といえば愛玩動物の筆頭だし、犬を食べるだなんて考えたこともないからだ。
ではボクはどうかというと、犬を食べる文化があると知って、まず興味が湧いた。
ボクは昔から好奇心が強く、自分が体験したことのない未知のものに関心がある。
だから、韓国に来た際には、ぜひ犬を食べてみたいと思った。

自分が知らないからといって拒絶するのは、世界を狭めてしまう行為だと思う。
犬を食べたこともないままそれを批判するのは、愚の骨頂というものだ。
なぜなら、韓国では昔から犬を食べているのだ。
イスラム諸国では豚が、ヒンドゥー教の国では牛が食べられないからといって、彼らにトンカツや牛丼を否定されたらどう思うだろうか。
ボクだったら「よそはよそ、うちはうちなんだから、他人の食文化にケチをつけるな!」と思う。

だから、食べられる場所を調べて、実際に足を運んでみた。
周りの区画とは明らかに雰囲気が異なるそこには、檻に入った犬がたくさんいた。
その子たちに近付いた時、ボクは強い違和感を感じた。
ボクは用もなくペットショップへ足を運ぶくらい、動物が大好きだ。
だが、ここにいる犬は、ペットショップのワンちゃんたちと雰囲気が全く違う。
ボクが近づくと悲しい、怯えた目をして、後退りしながら吠える犬もいる。
きっと、自分の仲間たちの姿を見て、自分がどういう未来を辿るのかを悟っているのだろう。

そして、その目を見て、ボクは「可哀想」と思ってしまった。
論理ではそれが間違いであることは分かっているが、どうしてもそう思わざるを得なかった。
日本にいる頃はハンバーグを食べても、唐揚げを食べても、可愛そうだと思ったことはなかったのに。
少なくともここでは、犬は他の動物たちと変わらない”家畜”でしかないのに。

でも、ボクは犬を食べようと思った。
「ポシンタン?」と言いながら食べるジェスチャーをすると、犬を売るお店の人は食堂を指さして教えてくれた。
この通りから一本折れた道にあるこの食堂には、既に何人かのお客さんがいた。
お店に入り店員さんに再び「ポシンタン?」と聞くと、うなずいて席へ通してくれた。
韓国語で何か聞かれたが、わからないというジェスチャーをすると、紙に字を書いて持ってきてくれた。
「10000」と書いてある。きっと値段だろう。
1万ウォンというのは日本円で1000円だから、高い部類に入るかもしれない。
でもボクはOKと応えて、料理が出てくるのを待った。

 

 

 

 

 

そして、これが来た。
今度は”犬”ということが分かっているから、最初にこの写真を見た時の第一印象と感じるものが違うかもしれない。
ボクはぐつぐつ釜で煮えているスープから肉を掬って、フーフー冷ましてから口に運んだ。

食感は、想像していたものと違って柔らかかった。
以前、ラクダやシマウマを食べたことがあるが、食肉用として育てられていないからかどちらも硬かった。
しかし、この”食肉用”に育てられた犬は、とても柔らかかった。

味は、やや臭みがあるかもしれないが、スープの香辛料などでかなり食べやすくなっている。
地方のお祭りで食べられるイノシシの汁物に入っている肉や、ジンギスカンのヤギ程度のクセだ。
正直「これは羊です」と言われて出されても分からないくらい、特別変わった味ではなかった。
お好みで入れる薬味や胡麻などを入れれば、さらに食べやすい味になった。

つまり、ポシンタンは美味しかった
美味しいという情報が舌から神経を介して脳へ伝わってくる。
だが、そこで脳が「お前が食べているのは、”犬”だぞ」と命令を出した。

 

 

それを考えた途端、寒くもないのに腕に鳥肌が立った。
犬の肉を口に運ぶ度に、なんということをしているんだろうかという罪悪感が襲う。
罪悪感を感じる要素などないはずなのに。感じてはいけないはずなのに。
「美味しい」という現実よりも、「犬を食べている」という感情が上回ってしまった。

ボクはグリーンピースが嫌いだ。
と言っても豆の方じゃなくて(まああれもあまり得意ではないけど)、オーストラリアの自称・環境保護団体だ。
彼らは日本の捕鯨に反対、と声高に叫び、捕鯨船に体当たりをするなど危険な方法で妨害している。
日本では古くから捕鯨が行われており、絶滅しないように漁獲量も調整している。
それなのに彼らは「可哀想だ」という理由で、捕鯨を野蛮な行為として糾弾してくるのだ。

そのオーストラリアはオージー・ビーフで有名なように、牛肉を多く食べている。
また、増えすぎたという理由で、カンガルーも食べている。
先日は、間引きのためにコアラを殺処分したというニュースもあった。
自分たちも哺乳類を屠殺しているのに、なぜクジラやイルカはダメなのか?
結局は、自分たちが知らないものを拒絶するという”感情”で動いているに過ぎない。

だから、ボクは奴らと違うんだという証明のために、犬の肉を食べ続けた。
鳥肌が立とうと、少し嗚咽しようと、犬の肉を食べ続けた。
人の家のペットを殺したわけじゃあるまいに、食べるために育てた家畜を食べて何が悪い。
そうやって、感情を論理で抑えつけた。

ポシンタンを完食して、ご馳走様をして、店員さんにお金を支払った。
笑顔で何かを話す店員さんに、「美味しかったよ!」という嘘偽りのない気持ちで答えた。
だって、ポシンタンは本当に美味しかったから。
そして、お店を出て、ポシンタン通りに戻って、檻に入った彼らを見てしまった。

 

ボクがさっきまで食べていた生き物。
感情を抑えつけていた論理は一瞬で崩壊して、嘔吐する寸前まで気持ちが悪くなった。
それでも最後は意地で、つまりは感情で堪えた。

 

結局、論理では感情に勝てない。感情はより強い感情でのみ、勝つことができる。
けど、だからこそ、ボクは論理的な人間でありたい。
感情を、論理の支配下に置きたい。
価値観は人それぞれだ。だから抵抗や嫌悪感があるのも仕方がない。それ自体は悪ではない。
だけど、自分の感情を武器として振り回して、他人に強制するのは悪だと思う。
自分の感情は自分の中だけで制御して、処理すればいい。
ボクはグリーンピースは嫌いだし、彼らを認めることもないだろう。
だけど、グリーンピースの人の心情は理解できるし、その気持ちを否定することはしない。
ボクは彼らに資金提供をするパタゴニアの商品を買わないくらいのささやかな抵抗に留めることにする。

 



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