【中編小説】もう一つの物語・中 -Bon appétit!-

【中編小説】もう一つの物語・中 -Bon appétit!-

 

こんにちはなの!モロくんなの!

こっけ~:「モロのかいぬし、こっけ~ですー。土曜日は小説の日!」

『キミと夏の終わり』に出てきたキャラクターの、番外編なの!

 

※ 前回の話はこちら。

 

 




 

 

 

もう一つの物語

 

 

 

 

Bon appétit! ~召し上がれ~

 

 

 

 

先週、大学の同級生たちとピント・フェライスへ行ったあの日から。私の気持ちは複雑に揺れ動いていた。
パティシエを目指していたあの日々の記憶が蘇る。
父と話し合って夢を諦めたその日から、私は毎日をただなすがままに生きていた。
世間一般で言う”よい大学”へ進み、”よい会社”に入ることを決めた。
なんの問題もない毎日。
そうだ。私は何を迷っているのだろう。パティシエになるなんて夢はとうに諦めたはずだ。
私はわかっていた。今さらどうしようもないってことを。
そしてもう一つ、わからないこともあった。
それならば、なぜ私は今ピント・フェライスの前に一人で立っているのだろう。
まさか今さらまたパティシエを目指すというのだろうか。
そんなの馬鹿げている。今の安定した生活を、約束された未来を放棄するだなんて、馬鹿げている。
「どうか、しましたか?」
その時、不意に私は話しかけられて、声の主の方を見た。
そこにいたのは私の父と同じくらい、50代程の男性。料理をする人と一目でわかる、白い服装をしている。
そしてその顔には見覚えがあった。そう、彼は
「・・・Mr.男鹿?」
「おや、私のことを知っているのですか」
私がかつてケーキ作りの基本としていた本を書いた、Mr.男鹿だった。
「はい! 私、『Mr.男鹿の簡単にできる! ケーキの作り方』を見て、必死にケーキを作る練習をしていたんです!」
私はつい興奮してまくしたててしまった。なにしろMr.男鹿は私がかつて師と仰いでいた人なのだから。
「あぁ、あの本を読んでいたんだ、懐かしい本だね」
あごを撫でながらMr.男鹿は言った。あの本は私が中学3年生の頃、つまり6年前に発売された本だ。
「あの本を見て一生懸命ケーキを作ってたんです。その頃どうしてもパティシエになりたくて・・・」
「そうか、それは嬉しいな」
「あ、あの」
勝手に私の口から言葉が出ていた。

「ここで働かせてください!」

突然の私の申し出にMr.男鹿は驚いた顔をした。
というかいきなりそんなことを言われたら誰でも驚くだろう。
「とりあえず中でゆっくり話を聞こう。どういうことか説明してほしいな」
不快な表情をすることもなく、Mr.男鹿はそう言った。私とMr.男鹿は店内に入り、テーブルの一つに腰掛けた。私は今までのことを全て説明した。
私はかつてパティシエを本気で目指していたこと。
しかし父の反対で断念したこと。
その後ずっとケーキ作りと無縁の生活を送っていたが、先週ここでケーキを食べたこと。
それはかつて私がMr.男鹿の本を見てつくったケーキと同じ味で、過去の思いが一気にフラッシュバックしたこと。
そしてピント・フェライスはまさにMr.男鹿が作っていたものだったこと。
「私、思い出したんです。昔本気で目指していた夢を。そしてそれはまだ消えていませんでした」
私は一息に言い切った。黙って聞いていたMr.男鹿が口を開く。
「なるほど、事情はわかったよ。とりあえずそのMr.男鹿っていうのは慣れないからやめてくれないかな、男鹿さんでいいよ」
苦笑しながらMr.男鹿は――男鹿さんは言った。そして続ける。
「つまり君は今再びパティシエになりたい、だからここで働きたいと。そういうことでいいかな?」
「はい!」
ふむ、と男鹿さんは目線を上に向けながら考えていた。少し間が開いて私は冷静になって、そして自分がとんでもないことを言っていると今更ながらに気付いた。
「あ、あの、でも21歳にもなってからじゃいくらなんでも遅いですよね」
私がそう言うと男鹿先生は視線を私に戻して、
「いや、そんなことはないさ。パティシエになるのに年齢は関係ない、大切なのはやる気さ。ただ・・・」
男鹿さんは一度言葉を止めた。そして、
「君は過去の気持ちが一気に戻ってきたから勢いでそう言っていることも考えられる。21歳という年齢を聞くに、君は学生か何かかな?」
「はい、私は大学3年生です。でもパティシエになりたいという気持ちは決して勢いでは・・・!」
私は説明しようとしたが、男鹿さんは手のひらを出して静止した。
「君の熱意はわかった。ところでこの時期の3年生となると就職活動の最中だと思うが、それはどうなのかな?」
「あの、すでに内定をもらっています。でもやっぱり、夢を捨てることができなくて・・・」
私の言葉を聞いて押し黙る男鹿さん。そしてゆっくりと口を開いた。
「君を今すぐ正社員として雇うことはできない。それは大学を卒業するのが親御さんへの責任でもあるからだ。わかるね?」
頷く私。男鹿さんの言うことはしごくもっともだ。
「1週間ほど落ち着いてよく考えてほしい。それでもしもまだパティシエをやりたいというのならまた来るといい。アルバイトとして店で雇おう」

 

 

そして1週間が経った。私はピント・フェライスのテーブルで、男鹿さんを待っていた。
先週、男鹿先生は私に時間を与えた。私が落ち着いて考えるための時間を。
確かにあの時は勢いで言ってしまったのも否めない。履歴書も何も持たずに、いきなり働かせてくださいなんていってもそれは無理だろう。
一度冷静になって考えてみた。私は再びパティシエを目指すのかどうか。
最初はその気でいたけれど、よく考えてみればそれは大きな賭けだ。
今は一流の大学に入って、大手企業の内定をもらっている。そんな安定した未来を捨ててしまってもいいのだろうか?
1週間考えに考えて悩みぬいて、私はようやく結論を出した。
「いやぁ、待たせてすまない」
厨房の方から男鹿さんがやってきた。私は立ち上がって頭を下げる。
「お忙しいところすいません。1週間しっかり考えたので、今日はその答えを言いに伺いました」
男鹿さんは椅子に座って私を見て、そして口を開く。
「そうか、それでその答えと言うのは?」
私は一度下を向いた。そしてすぐに男鹿さんの顔を向いて言う。
「私はパティシエになりたいです。ここで働かせてください」
そう答えるのを予想していたのだろう、男鹿さんは特別驚いた表情はしなかった。私は続ける。
「内定を下さった会社に迷惑がかかりますし、それに何より逃げの道を作るのが嫌だったので、内定は辞退させていただきました」
すでに会社にそう伝えた。パティシエの道一本でいく、不退転の意思表示。
男鹿さんは一度頷くと、私を見て言った。
「わかった、約束通り君を今日からこの店で雇おう。ただし仕事をする以上、君の経験が少ないからと言って一切妥協はしない。いいね?」
「・・・はい! よろしくお願いします!」
この日を境に、私の人生は大きく動き出した。私は再び夢を目指す第一歩を踏み出したのだ。

 

ピント・フェライスでのアルバイトは想像以上に厳しかった。
最初はケーキ作りとは関係のない雑務をこなすものばかりだと思っていたが、男鹿先生(そう呼ぶべきだろう)はいきなりタルトの下生地を作るよう言った。
しかも、何も情報を与えずにだ。
かなり戸惑いながら私はかつての経験と、この一週間で詰め込んだ知識を頼りに生地を焼いた。
フルーツカットなどの仕事をしていると、生地が焼き上がる時間になった。
私は果物を切るのをいったん止め、オーブンから生地を取り出した。見た目は悪くない。男鹿先生はそれを切り分けた。私に一かけら渡し、自分も一つ口に入れる。しばしの沈黙。
「古川さん」
「は、はい!」
私は自分で食べていたタルト生地を飲み込んで返事をする。
「これは処分しておいてくれ。米田、新しいタルトの生地を」
「・・・え?」
一瞬の出来事にに私は思考が停止した。男鹿先生はその場を去っていった。
私が立っていると、厨房にいた先輩の米田さんが急かす。
「ほら、聞こえてただろ? 処分したらフルーツカットに戻ってくれ」
「え、あ、あの・・・」
私は展開についていけない頭をどうにか回転させて言葉を出す。
「ん、何?」
「その、どこがいけなかったとか、そういうのは・・・」
「だめなもんはだめ、そういうことだよ。ほら、オーブン使うからその生地どかしてくれないかな?」
自分に才能があるだなんて自惚れてはいない。だけど、理由も言わずに作ったものを『処分しろ』だなんてあんまりではないか。
「米田さん、教えてください! 私の生地はどこがいけなかったのですか?」
私は尋ねた。米田さんは私の作ったタルト生地をひとかけら口に含める。そして、
「砂糖の分量が少ない。オーブンの温度が足りなかったからしっかり焼き上がっていない。おまけに厚さが不均一だからむらがある」
すぐに問題点をあげていく米田さん。そのあまりの多さに私はショックを受けた。
「直すべき場所はいくらでもある。でもそれを自分で気づかずに人に聞くのは、未熟さの証明だよ」
「み、未熟って・・・今日入ったばかりの私がうまくできるわけないじゃないですか!」
言われたい放題だった私は言い返した。すると、
「ここでは経験の少なさは理由にならない。お客さんからお金をもらっている以上、俺たちにはいいケーキを出す義務がある」
米田さんははっきり言いきった。それは正論。揺るぎのない事実。だけど私は一度言い返してしまった手前、引き下がれない。
「でも、だったら作り方くらい教えてくださってもいいじゃないですか! 処分だなんて、もったいないです!」
しかし私の精一杯の反論も、米田さんの前では無力だった。
「捨てるのがもったいないのなら昼休みに自分で食べるといい。材料費は取らないから。そして、」
米田さんはいったん言葉を区切った。次の言葉を聞くのが怖くて、私は体がこわばる。
「ここでは教えるというシステムはない。学びたかったら自分で技術を盗むんだ。・・・もちろん自分の業務はこなした上でな」
これ以上私は何も言えなかった。私は自分の作ったタルト生地をラップで包んでロッカーに持って行った。

 

その後は毎回同じような感じだった。
男鹿先生は最初に課題を与え、私はそれを作る。しかしこの一週間、一度もその課題を通ることはなかった。
バイトを始めて2週目のある日、今日も男鹿先生は私に課題を与えた。
「ショートケーキ用のスポンジケーキを作りなさい」
いつもと同じように作業を始める。だけど今回は少し自信があった。
ショートケーキと言えば、かつて私が猛練習を積んだケーキだ。材料の分量、比率から作り方のコツに至るまで体が全て覚えている。
普段より手応えを感じながら私はスポンジケーキを作った。
そしてついに焼き上がり、男鹿先生がそれを口に運ぶ。私は今までと違う反応を期待して待った。
「・・・・・・」
「どう、ですか?」
自分で味見した感じでは上出来だ。
「・・・古川さん」
「はい!」
もしかしたら少しは認めてもらえたのではないだろうか、そんな淡い期待。
「これは処分してください。それと、今日から1週間休みを与えます」
「え・・・?」
しかしそれはあっという間に砕かれた。男鹿先生は去ろうとする。しかし私は引き留めた。
「ち、ちょっと待ってください! このケーキの何がいけなかったか教えてください! それに1週間休みってどういうことですか?」
私の言葉に男鹿先生は振り返って言った。
「材料、作り方は問題ないです。しかし心が足りない」
「心・・・?」
まさか精神論でダメ出しされるとは思わなかった。心が足りないって、一体どういうことなのか。
「古川さん」
「はい」
「君はご両親に、内定を取りやめたことを言ってないのではないかい?」
図星だった。私は内定を辞退したことを両親に伝えていない。
反論されるのが怖かったのだ。特に・・・父が知ったら激怒するだろう。
「・・・・・・はい」
「あなたはまだ信じられないかもしれませんが、ケーキに限らず料理は材料や技術だけではなく、心も重要なのです」
私は今まで、料理に心が大事だというのは絵空事だと思っていた。しかしたった今目の前で一流の料理人が心の重要さを説いている。
「料理には、作った者の心が宿ります。あなたの作ったケーキには悩みが籠もっていました」
今までの私だったら精神論など一刀両断していただろう。だけど実際、私は男鹿先生に自分が悩んでいることを看破された。
「1週間休みというのは、親御さんにあなたの現状をありのまま話しなさいということです。そうしなければ、今後この店で働くことを禁じます」
男鹿先生はそう言ってこの場を去った。今度は引き留めることができなかった。
両親に再びパティシエを目指すことを伝える。それは非常に困難を伴うことだ。だけど、それはいつかは越えなくてはいけない壁。
男鹿先生にも指示された以上、それを実行しなくてはならない。
私はこめかみを押さえた。かつてパティシエになりたいと言ったら大反対された父に伝えるのは気が重い。
「・・・ん」
不意に横から声がして、そちらを見る。米田さんが私の作ったスポンジケーキを食べたところだった。
「・・・うん、味は文句ない。材料、作り方ともに完璧。でも・・・なんだろう、のびやかさが足りないかな」
「のびやかさ・・・?」
「あぁ。別に男鹿先生に便乗してるわけじゃないぞ。だけどこのケーキ、美味しいんだけど何かが欠けている」
難しい顔をする米田さん。そういえば米田さんに褒めてもらえたのは初めてかもしれない。
「両親にパティシエ目指すの言ってないんだって? 俺はよく事情知らないけどさ、パティシエになりたいんなら堂々と胸張れよ」
米田さんは親指で自分の胸を叩いた。その動作がなんだかおかしくて。
「ふふっ」
「な、なんだよ。なんで笑うんだよ」
「いや、その、ごめんなさい。・・・はははっ!」
「笑うなよ!」
笑うことによって気が晴れた。そうだ、悩んでいても仕方がないんだ。
「米田さん、ありがとうございます。私、ちゃんと両親に話してみます」
「あ? あぁ、そうか」
私はロッカールームに戻ると、家へ帰った。今晩、両親に伝えよう。

 

 

「それで、話というのはなんですか?」
その日の晩、さっそく私は両親と話す席を設けた。
「は、はい。その実は・・・・・・」
いざ父を前にすると、固めた決意も少し揺らぐ。でもここで止まるわけにはいかない。私は米田さんが言った言葉を思い出した。
『パティシエになりたいんなら堂々と胸張れよ』
そうだ。私には夢があるんだ。恐れることなんてない。
「父上、母上、お伝えしたいことがございます。実は先週、内定を辞退する旨の電話を会社に伝えました」
「・・・ほう」
「えぇ!?」
父も母もやはり驚いた。父が口を開く。
「あのような優良企業を蹴るということはそれ相応の理由があるということですね? 大学院に進学したくなりましたか?」
父の口調には棘が感じられた。おそらく父の中ではある程度私がこれから言うことの予想がされていて、大学院というのは牽制なのだろう。
「いえ、進学を希望するというわけではありません」
そういえば父とまともに会話するのはいつ以来だろう。当たり障りのない挨拶などを除けば、もしかしたらあの日以来のことかもしれない。
「それではどのような理由なのですか?」
微かに怒気を含んだ父の声。私は逃げ出したくなったが、米田さんの言葉を再度思い出し、ついに理由を述べた。
「お父様、お母様。私は、菜摘は・・・どうしても、パティシエになりたいのです!」
「許さんぞ!」
間髪入れずに父は立ち上がった。そして私の頭上から、唾をまき散らせながら叫ぶ。
「なんのためにお前を大学に行かせたと思っているんだ! そんなままごとをさせるためではないぞ!」
一度は父の猛反対にあって諦めた夢。でも今の私はもう諦めない。賽は、投げられた。
「私は本気です! すでにそのための勉強も始めています!」
「この・・・親不孝者め! 高校と大学に行かせるのに、いくらかかったと思っているんだ!」
私は顔を上げることができず、父の足元を見たまま答える。
「大学まで通わせていただいたことは感謝しております。だけど私には、叶えたい夢があるのです」
「な、何が夢だ! そんなもの追って何になると言うのだ! そのまま就職していると、堅実に生活を、送れていたというものが!」
もはや父の言葉はてにをはが狂って支離滅裂になっていた。
いつもの冷静沈着な父は、学校では優れた教師として、世間では素晴らしい教育論を著した人物として名高い父は、そこにはいなかった。
「お父様の期待に添うことができないことをお許しください。しかし私はパティシエとして・・・」
「何がパティシエだ! この・・・!」
私の世界がひっくり返った。最初に肩、次に背中と後頭部に衝撃。つい先ほどまで下を向いていた自分の視界に天井が見える。
そしてその中心に、顔を真っ赤にした父をとらえて、ようやく私は父に蹴り飛ばされたということがわかった。
これほどまで認識に時間がかかったのは、父は絶対に体罰をする人ではなかったからだ。
非常に厳しい父だったが、今まで私に手を上げたことは一度もなかった。だが今日、それは破られた。
「あなた」
母の声がする。
「うるさい! お前は黙って・・・」
「あなた!」
母の鋭い声。心なしか空気中に含まれる父の怒気が減った気がする。
「な、なんだ和江。何を声を荒げているのだ!」
自分のことは棚に上げて父は言った。私に向いていた怒りの矛先が、若干だが母に向いた気がする。
私はその隙に床から起き上がり、母の方を見つめた。
「あなたには失望しました」
「何? 何を言っている?」
母はその問いに答えず、エプロンのポケットから一枚の封筒を取り出した。そして中から一枚の紙を取り出す。
緑色の文字で印刷されている用紙。私はテレビドラマの中でしか、それを見たことがない。
父はその紙を受け取ると、目を大きく見開いた。そして信じられないといった様子で母の方を見る。
「これは・・・これは一体どういうことだ・・・」
私は父が持っている用紙を見た。左上にタイプされている漢字三文字。

『離婚届』

「見ての通りです。私はあなたと離婚いたします」
「な、なんの冗談だ。離婚など私は認めん・・・」
「あなたが承認してくださらなければ、裁判に持ち込みます」
母の言葉に父は急におとなしくなった。それはまるで成績の悪いテストを突き付けられて小さくなる子供のようだった。
「待て、考え直せ。何を突然・・・」
「突然ではありませんわ」
父の言葉をさえぎる母。初めての光景だ。
母は大和撫子を絵に描いたような人で、よく言えば男を立てる良妻、悪く言えば夫に従うだけの家政婦だった。
今まで母が父に反論したことは一度もない。少なくとも私の記憶の中では。
「あなたの態度にはずっと辟易していました。外では善人面をしているのに、家では理不尽な振る舞いばかり。あなたは家族のことよりも、自分の名誉の方が大事なのでしょう?」
「な、何を・・・」
まさか母が自分に物言うことがあるなど父は夢にも思っていなかったのだろう。差し詰め飼い犬に手を噛まれる気分といったところか。
「私のことはいいです。でも娘たちはあなたの道具ではありません。櫻はあなたの過剰な期待に追い詰められてしまいました」
妹の櫻は、父の期待のプレッシャーに耐えきれず勉強をやめてしまった。父は「三流高校に行くなど、教師の娘として恥だ!」と言っていた。
「菜摘はあなたの期待に応えようと頑張ってきました。でもあの子の人生は、あの子自身に決める権利があります」
「お母様・・・」
始めてみる母の堂々とした姿。
「挙句の果てに、自分の思う通りにいかないから暴力を振るうなど・・・もう耐えられません。私は菜摘と櫻を引き取って、離婚します」
「和江、考えなおせ・・・考え直してくれ。離婚すればお互い大変だろう? 私も教師として生きている、離婚しては世間体が・・・」
「この期に及んでまだ”世間体”ですか! やはり結局は家族のことよりも自分の名誉じゃないですか!」
父は何かを言おうと口を開いたが、すぐには言葉が出てこなかった。そして、しばらくして、やっとのこと絞り出した。
「・・・勝手にしろ」
これが、両親の離婚が成立した瞬間だった。あまりにあっけなかった。
そして思う。まさか、パティシエを目指すという話が、両親の離婚話になるだなんて。

 

 

あ、ハーブティーすっかりぬるくなっちゃったね。淹れなおしてこようか?
別にいい? そっか。はは、君すっかり私の話に聞き入ってくれたみたいだね。私も話甲斐があるよ。
・・・うん、そうなんだ。この日、私の両親は離婚をすることを決めた。
母の旧姓は星野だから、私は古川 菜摘から星野 菜摘になったの。
あの時は罪悪感も感じたなあ。だって今までの過程はいろいろあったにしろ、離婚の引き金となったのは自分の話なわけだしね。
それに父は・・・亭主関白だったんだけど、それでも母のことは愛していた。それがわかっていたから尚更ね。
母もそれは知っていたと思う。でも私と、妹の櫻のことを思って離婚って言う選択をしたんだと思うよ。
・・・そんな顔しないでよ、ごめんね、すっかり暗い話になっちゃって。
でも大丈夫、ここからは私が夢を目指す希望のお話。
ってここまででも既にだいぶ長くなっちゃったけど、まだ聞いてくれるかい?
お、そっかそっか、じゃあ話すことにするよ。あ、でもその前に。
お客様、おかわりのハーブティーはいかがですか?

 

 

 

続く

 



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