【かいぬし手記】ボクが旅をする理由

【かいぬし手記】ボクが旅をする理由

※ 当記事は2015年10月22日に投稿されたものを、転載したものです。

 

 

 

絶景と名高い、タジキスタン・ワハーン回廊へやって来た。
公共交通機関がないこの区間は、ジープを何人かでチャーターするのが一般的だ。

 

 

 

人がすぐには集まらず、ワハーン回廊入り口の村であるムルガーブで一日長く過ごすことになったが、次の日には無事集まって出発することができた。
せっかくなので助手席に座りたかったのだが、同行しているフランス人の女性が具合が悪いというので、最初は後部座席に座ることになった。
お昼頃、アリチュルという村の手前で昼食を摂り、具合が良くなった彼女はボクに助手席を譲ってくれた。

 

そして、車が出発してほどなく、ボクはそれを見た。

 

 

 

 

 

 

 

まるでこの世の終わりかのような砂と石ばかりの不毛の大地に、たった一本の道が世界の果てまで続いている。
その奥には真っ白な雪を被った高くて荒々しい山々が、圧倒的なまでの存在感でそびえ立っている。
空は雲一つないにも関わらず、今までの人生で見てきた全ての空と異なる青色をしているせいか、落ちてきそうなくらい低く見えた。
それらの光景を目の当たりにして、一瞬のうちに今までのことがフラッシュバックしてきた。

 

 

 

 

 

世界一周に出よう、と決めたのはボクが15歳の時だ。
15歳の誕生日を迎えた当時中学3年生のボクは、将来のビジョンを何一つ持っていなかった。
だから、16歳の誕生日が来るまでに、自分の未来について考えようと心に決めた。
そんなある日、とあることから”バックパッカー“なる言葉を耳にし、ネットで検索にかけたところ、世界一周中だという人のホームページにたどり着いた。
そのホームページは日記と写真の他に、宿や食事のお金、旅の持ち物など詳細な情報が載っていた。
それらの情報は、今まで”世界一周”など遠い世界の夢見事だと思っていたボクに実現可能であると思わせるには十分な内容だった。

 

そして、ボクは自分の将来をバックパッカーにすることを決めた。

それに加えて、さらに詳細な人生設計をした。
大学は少しでも旅に役立つよう、海外に関係する学部へ進むこと。
やはり旅にお金は必要だから、どんな仕事でもいいから3年間働いて貯金すること。
来る本番の時のために、バックパッカースタイルの旅を何度かして慣れておくこと。
将来が定まったおかげで、自分の中にぶれない基本方針ができた。
何かを決めるとき、自分の選択は”世界一周すること”を基準に考えればよかった。
それからの10年間は、そのために生きてきた。
そのためだけに生きてきた、と言っても過言ではないかもしれない。

 

そしてあれから約10年後の2015年6月21日、ようやくボクは旅に出た。

自分でも意外なことに、特に感動はなかった。
受験や就職と異なり、世界一周に出るということは自分の意志一つで簡単に行える。
だからボクはこれを”夢”ではなく、”計画”と呼んでいた。
ボクにとっての世界一周は、遂行するべき一つの任務のようなものだった。

 

そのせいだろうか。
旅に出てほどなくして、ボクは壁にぶち当たった。
言語とか人種とか宗教だとか、そんな崇高なものではない。
単純に、旅をしている意味がわからなくなってしまったのだった。

 

旅をするという毎日は、とても面倒だった。

生きていくために必要な行為――例えば食料の確保や洗濯のタイミング――をどうするか、毎日考えなくてはいけない。
中でも特に「宿を選ぶ」という行為が面倒で仕方がなかった。
貯金を切り崩して旅をする以上なるべく安い宿を選びたいが、削り過ぎると環境や安全の面で不安が生じる。
場合によっては値段が提示されていない場合もあり、少しでも高いお金を得たいがためにふっかけてくる相手と交渉する必要がある。
これらは日本で生活していれば、ほとんど必要が無い行為なのだ。

 

ただでさえ面倒臭がり屋だったボクは、旅をしているうちにこれらの行為が嫌になってしまった。
すなわち、旅を続けることすら面倒になってしまった。
だから中国で日本人差別に遭った時、現状から逃げたくなって日本への帰国便を調べた。
その後も、「○○に合わせて帰ったら、みんな喜んでくれるかな」と、何かと理由をつけて帰国しようと何度も考えた。
でも、結局のところそれを実行しないまま、ただただ惰性で旅を続けていた。

 

 

さらに正直に言えば、ここ最近の旅はとても辛かった。
キルギス・オシュからの乗り合いジープは、距離と質の割にとても高かった。
さらにタジキスタンに入ってからは、物資が少ない国であることに加えて山の上ということもあり、宿も食事も質に対して驚くほど高い。
ホーローグからワハーンへ行く車も観光客向けの価格で、頭数を揃えようにもなかなか集まらず、余計に一泊することになった。
加えて体調を著しく崩し、嘔吐や下痢をしていたのが一番辛かった。

 

なぜ、お金を払って辛い思いをしているのだろう。
そのお金があれば、日本で快適な生活を送ることができるのに。
そもそも仕事なんて辞めないで、普通の人生を送っていったほうがよかったんじゃないか。
辛い思いをする度に頭に浮かぶ、正解のない逡巡。

ここまでのことが、ワハーン回廊で助手席からの景色を見た瞬間、走馬灯のように駆け巡っていた。

 

 

 

そして、それらを一気に吹き飛ばすくらいに、パミールハイウェイは美しかった。

旅は面倒だ。辛いことも、嫌な思いをすることもある。何度も辞めたくなる。
けれど、そんなものが些細に思えるくらい、素晴らしい経験を得ることができる。
いや、そんな陳腐な言葉じゃ表せないくらい、貴重で、崇高で、荘厳で―――
あぁ、もっとボクに語彙と文才があれば、この感動をもっと上手く伝えることができるのに!

 

 

 

結局のところ、旅は人生と同じなのだと思う。
面倒なことも、辛いことも、嫌な思いをすることもある。辞めたくなることもある。
けれど、その先に待っている何かを信じて続けていくしかない。
今は辛くとも、きっといいことがあるんだって。

そしていつか、こう思うだろう。

 

 

あぁ、旅に出てよかったな、と。
だからもしも、この記事を読んでいる人の中で世界一周に出ることを迷っている人がいたら、聞いて欲しい。

安易に勧めたりはしません。捨てるもの、失うもの、そういったものがいくらかはあるはずだから。
本当は勧めたいんだけどね。拾えるもの、得るもの、そういったものがいくらでもあるはずだから。

旅は、あなたが思っている以上に楽しいことばかりではないですよ。
けど、あなたが思っている以上に楽しいことが絶対待っていますよ。

 

 



また「もろたび。」を読んでくれたら嬉しいです。
twitter instagram

 

コメントを送信

CAPTCHA