【かいぬし手記】ホンジュラスの学校と児童教育

【かいぬし手記】ホンジュラスの学校と児童教育

 

 

※ 当記事は2017年8月11に投稿されたものを、転載したものです。

 

 

ホンジュラスのコパンへ行った時、ホンジュラスで活動するJICA職員の方とたまたまお会いした。

連絡先を交換して、後日私はその方が活動する町へ訪問することにした。

 

「旅で何を得るか」

 

というのは、”意識高い系”の旅人によってよく語られる話であるが、はっきり言って私の旅の目的は勉強ではない。

もちろん、旅をしていく上で得るもの、学ぶこともあるだろう。

だがそれは副次的なものにすぎず、あくまでもメインは観光だ。

だからこの旅も、特別崇高な目的を持たず、自然体に旅していた。

 

 

 

 

興味があるものといえば文化や人々の生活について知りたいので、市場や宗教施設を見ることが多々ある。

市場はその国に住んでいる人の生活が濃縮されたものであり、彼らの衣食住を垣間見ることができる。

宗教施設は最先端の技術や装飾を凝らした文化の結晶であり、人々の精神を覗くことができる。

しかし、あくまでも旅人が入り込めるのは表面だけだ。

 

 

 

そんな中、JICAの方は自分が活動している場所を案内してくれた。

 

 

それは、病院であったり、

 

 

 

彼が以前活動の一環で訪れたスラム街だったりだ。

どちらも、個人の旅では訪れることのなかった場所だ。

 

さらに、彼はJICA仲間が活動している小中学校へも連れて行ってくれた。

 

 

教室の中に入り、実際に授業を見るなんて、普通の旅では絶対に有り得ないことだ。

この機会を設けていただいて、本当に感謝している。

 

 

 

 

さて、私は旅立つ前に3年間、愛知県で小学校教諭を務めていた。

手前味噌だが、児童に親身な教師であったと思うし、よい学級を作ってこられたと思っている。

仕事は決して嫌で辞めたわけではなく、むしろ楽しすぎて辞めるかどうかかなり悩んだ。

結果として自分の夢を叶えるために辞めたが、旅をしている間のふとした時にも、

 

「こんな授業展開をしたら児童の意欲を引き出せるんじゃないだろうか」

「道徳教育をこうしてみたら、児童に深く考えさせるきっかけとなるだろう」

 

と、再び教師になったらやりたいことをよく考えていた。

だから今(執筆当時、昨年7月)は教員採用試験に合わせて一時帰国をしている。

 

 

 

だから、現地の学校を見る機会は、まさに渡りに船というものだった。

この旅をただの道楽ではなくて、将来の教師生活の糧にすることができるのだから。

 

 

 

ホンジュラスの教室内は非常に狭く、設備や教材の面でも十分だとは言えなかった。

日本は教育に対する予算が少ないと思っていたが、それでもかなり恵まれていると実感した。

 

 

 

運動場と呼べるのも、校舎に囲まれた場所にあるコンクリートの床だ。

グラウンドに100m走のコースを直線で引ける私の勤務先は、素晴らしい環境だった。

 

 

 

しかし、そこで活動している子どもたちは笑顔でいっぱいだった。

子どもの適応力はすごい。

与えられた環境の中で最大限の力を引き出すのは、教師の腕次第だ。

 

 

 

ここで働いている教師たちは、JICAの方の指導の下、日本のそれに近い指導方法を試していた。

ホワイトボードの左上には、「今日の目当て」らしきものが見える。

 

 

 

板書計画だけでなく、ノート指導も行われているようだった。

狭い机の上だが、ちゃんと定規を使って線を引いていた。

 

 

 

学校給食はなく、児童は弁当を持参するか、校内にある売店から購入するらしい。

お菓子や炭酸飲料も売られていたが、保健教育はどこまで進んでいるのだろう。

 

 

 

 

 

現地の小学校を見て思ったこと。

それは、「子どもはいつの時代でも、どこの世界でも同じ」ということだ。

旅中に出会った人によく「最近の子どもってどんな感じ?」と聞かれるが、自分たちの頃と全く大差ない。

ゲームボーイは3DSに進化して、インターネットは身近になったけど、扱う玩具が変わっただけで本質は同じだ。

子どもは興味のある方へ趣き、楽しいことに没頭する。

 

 

 

物資は日本より少ないホンジュラスでも、子どもたちはとても楽しそうだった。

ふざけ合って、どつき合ったりしながら、たくさん笑う。

子どもは自分の人生を楽しくする力を、最初から持っている。それを、

 

「遊んでばかりいないで勉強しなさい」

「危ないから辞めなさい」

 

と制限するのは、いつだって大人の方だ。

 

 

 

大人の言い分もわからなくない。

子供をより良い方へ導いてやりたい。

安全に健康に暮らしてほしい。

発達途上でまだまだ未熟なところのある子供にあれこれ指示したくなる気持ちもわかる。

 

 

だけど、子供だてらに彼らも一端の人間だ。

小学生ともなれば善悪の判断もつくし、個性もどんどん伸びていく。

そんな時に大人が、そして教師がするべき役目は一つ。

 

後ろから見守ることだ。

 

どんどん失敗させればいい。友達とケンカすればいい。

そこから学ぶことだっていっぱいある。それが彼らの成長の源になる。

本当に助けが必要になった時に、その時に手を差し伸べればいい。

 

 

 

 

ホンジュラスという、日本とは歴史も文化も人種も宗教も経済も言語も違う国。

旅をしているといろんな考え方や価値観と出会って、自分の世界がさらに広がっていくのを感じる。

それと同時に、いつでもどこでも根っこは同じ人間だということにも気付く。

 

それを、伝えられる教師になれたら。

2年間世界を周ってきて、それを娯楽をしてだけではなく、未来に活かすことができたら。

 

そんなことを思いながら、二次試験に臨もうと思います。

 

 

 

2018年4月5日追記

 

その後、幸運にもボクは今年度の4月から、東京都で再び教員という仕事を拝命することができた。

経験があるとはいえ以前務めていた学校とは異なることも多く、忙しい毎日を送っている。

そして明日、ついに、ずっと会いたかった新しい生徒たちに会うことができる。

やりたいこと、してみたいことはいっぱいある。

だけど、この手記を書いた当時のように、教師は率いるのではなく、見守る存在でなくてはならない。

子供たちと過ごすこの1年が、新しいクラスが、最高のものとなりますように。

そして、全身全霊で子供たちのために生きることを、ここに誓う。

 

 



また「もろたび。」を読んでくれたら嬉しいです。
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